会社名 | 株式会社 小島工務店 | |
---|---|---|
設立年月日 | 昭和34年7月6日 | |
資本金 | 3,000万円 | |
従業員数 | 50名 | |
事業所 | 本社 | 〒933-0014 富山県高岡市野村1712 TEL:0766-21-2463 FAX:0766-21-2685 |
能町工場 | 〒933-0003 富山県高岡市能町字打山555-90 TEL:0766-26-5280 FAX:0766-26-5337 |
|
福祉会館(児島城) | 〒933-0003 富山県高岡市能町南1-79-1 TEL:0766-25-0687 |
|
東京支店 | 〒175-0083 東京都板橋区徳丸3-5-13 TEL:03-3936-1020 FAX:03-3936-1424 |
|
新座倉庫 | 〒352-0004 埼玉県新座市大和田3-4-41 | |
取引銀行 | 北陸銀行 高岡広小路支店 北陸銀行 上野支店 |
|
建設業許可 | 国土交通大臣(般-2)第4301号 | |
加入組合 | 東西アスファルト事業協同組合 関東防水管理事業協同組合 全国防水工事業協会 東京都防水工事業協会 |
1945年 9月 | 戦災復興のため富山市神通町に移住、屋根葺き業開設 |
---|---|
1950年 5月 | 富山県初の防水業を創立 |
1956年 5月 | 西日本アスファルト事業共同組合設立 |
1959年 6月 | 東京都文京区に東京支店開設 |
1970年 4月 | 富山県防水業協会設立 |
1973年 11月 | 高岡商工会議所より創業100年の表彰受賞 |
1979年 7月 | 高岡総合開発㈱設立 ジャスコ高岡店オープン |
1983年 7月 | 本社事務所、現在地に新築移転 |
1987年 4月 | 東京支店、現在地に新築移転 |
1989年 12月 | 能町工場(アルミ建材梱包工場)新築落成 |
1994年 4月 | 福祉会館児島城落成 |
2020年 2月 | 新座倉庫 移転新築 |
初代小島小太郎は幕末の安政年間、現在の射水市で小島屋という屋根職人と桶屋職人の兼業で生計を立てておりました。時折高岡へ出稼ぎに行き年々回数を重ねる毎にお客様の信用を得て、屋根の修理・葺き替え仕事・桶の修理から輪替え等の仕事を依頼されるようになり、お客様の要望に応じる為、明治の初めに高岡下八町、昔でいう氷見街道(現在の高岡市京町旧町名縄手名中町八番)に住居を構えました。
明治12年に2代目小島善助が小島屋善助を創立し、その当時の大きな仕事としては高岡関野神社屋根工事があり今も毛筆の図面、注文書が残っています。
その後、大正・昭和と幾多の難関を切り抜け、大正12年関東大震災には東京の焼け跡の復興仕事も手がけ、昭和14年3代目小島善太郎が小島屋本家と改めました。
4代目小島健二は復員後、戦災復興の富山市に住居を移し、県内初の防水業者として次々に建設される公共ビルの防水工事をやり遂げてきました。昭和26年の高岡産業博覧会、昭和29年の富山産業博覧会の際には、屋根防水資料、材料見本を建築士会を通して展示し、防水業界の基礎を築き、また、官庁関係、建設民間団体の方々に向けて防水材メーカーと共に技術講習会を開催し、防水技術指導を行なってまいりました。昭和34年に株式会社小島工務店として改組し、あわせて東京都文京区千駄木(昭和62年に板橋区徳丸へ移転)に東京支店を開設。昭和44年には大阪万国博覧会の防水工事にも参加完成。
昭和52年より労働省(当時)の指示により防水技能士国家試験制度が導入され、富山県県商工労働部職業訓練課(当時)の指導の下、技術向上のため尽力いたし、現在もその技術を生かし活躍いたしております。